由布院美術館 yufuin art museum 1992 - 2012

2012年春に惜しまれながら由布院美術館は閉館いたしました。
その既存の美術館の枠におさまらないユニークな建物と空間は、佐藤溪の作品と生き方に感銘を受けた館長・高橋鴿子
の想いが、象設計集団と出会うことで生まれました。本サイトでは、その思想と姿を残していきます。

構想と設計について

由布院美術館の設計に携わった象設計集団とは、そのユニークな設計手法で知られる建築家の集まりです。その象設計集団の面々のうち、由布院美術館の設計にかかわった富田玲子さんと由布院美術館について語らいました。
由布院美術館内で、時に談笑しながら設計にまつわるエピソードなどを富田さんに伺い、そして思いをはせました。

(聞き手・写真 / 瀬尾泰章) 

 瀬尾

鴿子さんは、この由布院美術館の設計を依頼する事にあたって、富田さんにどう説明されたんですか?

 鴿子

そうですね、説明したのは、私の大好きな作家がいて、作品が散逸してしまうんで、元々、美術館なんて造ろうっていう気持ちはなかったんですが、美術館をつくる事に決めましたって。その時はもう作品を『聴潮閣』に持ってくるのをあきらめて、湯布院の土地に、由布院美術館をつくろうと思って、そう決めて、富田さんにはお話していました。それで、私は昔の小学校風なのが好きだとか、そういうお話をしたと思いますよ。しかし最初に、聞いてびっくりしたのが『設計に2年かかります』っていわれた事でしたね(笑)

構想と設計について 写真 / 瀬尾泰章

 瀬尾

なぜ『設計に2年かかる』といわれたのですか?

 富田

おそらく申し上げたのは、最初の1年で春夏秋冬の様子をみて、次の1年で具体的に設計をするという事だったんです。

構想と設計について 写真 / 瀬尾泰章

 瀬尾

最初の1年間ここの土地をみられ、どういうイメージをもって設計に入られましたか?

 富田

湯布院は山で囲われていて、限られた世界のように感じました。盆地の独特の空間は、強烈な印象だったんです。
各季節ごとに木の色が変わる様子をみて、今もそうですが、雲も凄い勢いで動いていますしね。由布岳も独特の形をしてます。由布岳は重要なポイントになるなと最初に思いましたね。そういうところから、由布岳を向かう軸線というのが、ここのプラン決めるのに重要だろうなと思いました。それと高橋さんが盛んにおっしゃっていましたが、佐藤溪さんという画家は、貧乏神様、貧乏神様と言っているような画家だと、なので立派なものではなくて、バラックのようなものがいいんじゃないかと。それから、箱車ですよね。一カ所に定住せずに動き回っていた彼の姿、お家は仮設みたいなところで暮らしていたというところ。その彼の生活の感じとこの土地の盆地だという特徴、設計するうえで、この2つがきっかけになっていると思います。盆地を囲む山並みのように、バラックがあるという、そういったもう『1つの集落』という感じですね。今も小山に登ってみると、そういうふうに感じますね。囲まれた外輪山と小さい外輪山の一角にいるような。ただドーナツのようにつながってしまったらいけなくて、点々点々となっている事で、空気が間からきて、真ん中で出会うみたいなね。『おへそ』という感じもつくりたかったんだろうなと思います。そういえば、それが幸いの事に、凄い台風の時、他のお家の壁などは飛んでしまったんですが、ここは抜けるから被害がなかったんです。