佐藤渓美術館 satokei art museum

2013年、由布院美術館の後継として、大分県別府市にある近代和風建築「聴潮閣」(国登録有形文化財)内に開館。佐藤溪の世界が昭和初期のレトロな空間に広がりましたが、3年後、建物の老朽化に伴い全館非公開となりその幕を閉じました。

聴潮閣の内部と展示風景をご覧いただけます。

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古きよき時代の別府を象徴する近代化遺産、聴潮閣とは。
国登録有形文化財に登録されている聴潮閣の歴史や建物の特徴をかんたんにご紹介します。

聴潮閣(ちょうちょうかく)は、1929(昭和4)年、昭和初期の大分県を代表する財界人、高橋欽哉の自宅兼迎賓館として建てられました。高橋欽哉(1866~1937)は、1929(昭和4)年に大分農工銀行(現在のみずほ銀行大分支店)の頭取に就任。同年11月には別府商工会議所の初代会頭を務め、翌年の1930(昭和5)年、別府市初の衆議院議員になるなど、別府市の観光と経済の発展に尽くした人物です。

 

この住宅は、別府市浜脇(当時の別府温泉の中心地)の海岸沿いに建てられていたもので、「潮の音を聴く」という意で『聴潮閣』と名付けられました。人でいえばちょうど還暦となる60年後、かつ元号が新しくなった1989(平成元)年に、現在地の別府市青山町に解体移築されました。

 

国登録有形文化財に登録された2001(平成13)年、“聴潮閣高橋記念館”として一般公開が始まり、昭和初期の別府の文物を展示するとともに、多数の企画展やイベント、音楽会などが行われていました。2013(平成25)年1月から2016(平成28)年の12月末までの約3年間は、姉妹館の由布院美術館が20周年を機に閉館されたため、その所蔵品の佐藤溪の絵画作品を収蔵展示する“佐藤溪美術館”として一般公開されていました。現在は、建物と絵画作品の保存を最優先するため、一般公開を中止しています。

 

聴潮閣の主屋は、台湾ヒノキ等の高級材をふんだんに用いた木造二階建て入母屋造りの近代和風建築です。他にアール・デコ調の応接間のある洋館があり、小川三知(さんち)のステンドグラスなども用いられた和洋折衷の建築様式となっています。一階には夫婦の居室、二階には約28畳の大広間があります。別府の政財界で活躍していた主人は、多くの要人を招いては洋館の応接間で茶会を、二階の大広間で宴会を開いていたと思われます。

 

大正時代から昭和にかけて、日本全国に知られる温泉観光地として発展した別府には、数多くの近代的な公共建築や住宅建築が建てられていました。しかし、第二次世界大戦の戦火を免れたにもかかわらず、戦後の高度経済成長や計画性のない観光開発によってこれらの建築はほとんど現存していません。このうち一般公開を行った個人住宅は聴潮閣のみで、昭和初期の別府の繁栄ぶりを今日に伝える数少ない近代化遺産となっています。